種類 :遺跡
面積 :36ha(埋蔵文化財包蔵地)
時代 :弥生時代、古墳時代、奈良時代等
およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡。
吉野ヶ里遺跡の最大の特徴とされるのが集落の防御に関連した遺構である。弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠ができ、V字型に深く掘られた総延長約2.5キロメートルの外壕が囲んでいる範囲は約40ヘクタールにもなる。壕の内外には木柵、土塁、逆茂木(さかもぎ)といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていた。また、見張りや威嚇のための物見櫓が環濠内に複数置かれていた。大きな外壕の中に内壕が2つあり、その中に建物がまとまって立てられている。北の集落は北内郭、南の集落は南内郭と命名されている。
縄文時代後期には、吉野ヶ里丘陵の周辺部に人が生活していたと推定されている。ここに人が生活し始めた大きな理由として、この地域が海と近かったことがあると考えられている。最終氷期が終わり温暖となった縄文時代前期には、縄文海進と呼ばれる海面上昇があり、有明海は吉野ヶ里丘陵の南端付近まで広がり、遺跡から2-3キロメートルほどの距離にあったと推定されている。
紀元前4世紀頃には、吉野ヶ里丘陵の中に集落が形成され始め、これが大規模な集落へと発展することになる。
2016年5月2日訪問
佐賀・長崎旅行最終日。想像以上の規模にびっくり。
●フォトギャラリー ※クリックで拡大
●地理院地図 治水地形分類図
●地理院地図 地形図+色別標高図
●Flood Maps 海面上昇シミュレーション(+5m)
古代の海岸線や干潟はどの辺りまでだったのか・・・
Flood Mapsに史跡の立地を重ねてみると面白い。。