別名 :名護屋御旅館
城郭構造 :梯郭式平山城
天守構造 :望楼型5重7階(非現存)
築城主 :豊臣秀吉
築城年 :天正19年(1591年)
主な改修者 :なし
主な城主 :豊臣秀吉
廃城年 :慶長3年(1598年)
遺構 :石垣、空堀、井戸
指定文化財 :国特別史跡
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった日本の城。太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に築かせた。
名護屋(古くは名久野)は海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、中世には松浦党の交易拠点の一つであった。ここにはもともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣添城があったが、豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。秀吉の死後、大陸侵攻が中止されたために城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わる。
2016年4月28日訪問
雨と風が・・・ 呼子で活イカ定食→名護屋城跡→波戸岬→平戸へ
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波戸岬
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