別名 :松阪城
城郭構造 :梯郭式平山城
天守構造 :連結式3重5階
築城主 :蒲生氏郷
築城年 :1588年(天正16年)
主な改修者 :古田重勝
主な城主 :蒲生氏郷、服部一忠、古田重勝
廃城年 :1871年(明治4年)
遺構 :天守台、本丸、二の丸、石垣等多数残る
指定文化財 :国指定の史跡
再建造物 :石垣修復
松阪城は松阪市の中心地の北部に位置する。阪内川が城北を流れ天然の堀となっている。
江戸時代初期には松坂藩の藩庁となっていたが、廃藩後は御三家紀州藩の南伊勢国内17万9千石を統括するために城代が置かれた。 現在は石垣のみが残っており、城址公園となっている。
1584年(天正12年)、 蒲生氏郷が伊勢国12万3千石を与えられ松ヶ島城に入城した。1588年(天正16年)、 氏郷は、松ヶ島は伊勢湾に面し城下町の発展性がないと考え、現在の城地である飯高郡矢川庄の四五百森(よいほのもり)に新たに築城を開始した。工事は領内の寺社を取り壊して転用し、急ピッチで年内に完成させた。
1600年(慶長5年)から松阪藩主としての古田氏は、1619年(元和5年)、石見国浜田城に転封となり、南伊勢は紀州藩の藩領となった。松阪城は当地を統括する城として城代が置かれた。城内の天守以下の櫓や門等の建物は放置されていたため、江戸時代前期の史料によれば、1644年(正保元年)に天守が台風のため倒壊したとされ、以後は天守台のみが残ることとなった。1794年(寛政6年)には二の丸に紀州藩陣屋が建てられた。以後、紀州藩領として明治維新を迎えた。
2018年4月27日訪問
三重県史跡巡り初日。
伊賀国庁跡→一の宮敢國神社→伊賀国分寺跡→伊賀上野城→松阪城
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松阪の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学
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