別名 :稲葉山城、金華山城、井口城
城郭構造 :山城
天守構造 :不明・非現存 独立式望楼型3重4階(RC造復興・1956年再建)
築城主 :二階堂行政
築城年 :1201年(建仁元年)
主な改修者 :織田信長
主な城主 :斎藤氏、織田氏
廃城年 :1600年(慶長5年)
遺構 :曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 :国指定の史跡
再建造物 :天守、門
岐阜城は、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にあった日本の城(山城跡)。織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。
1201年(建仁元年)、二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされる。
15世紀中頃、美濃守護代・斎藤利永が、この城を修復して居城とする。
1533年(天文2年)からは斎藤利政(後の斎藤道三)、斎藤義龍、斎藤龍興三代の支配下にあった。
1567年(永禄10年)9月 - かねてから美濃攻略を狙っていた織田信長が稲葉山城下に進攻(稲葉山城の戦い)。龍興は城を捨てて長良川を舟で下り、伊勢長島へ逃亡した。 同年、 信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった。
1601年(慶長6年)、徳川家康は岐阜城の廃城を決め、奥平信昌に10万石を与えて、南方に加納城を築城させた。その際、岐阜城山頂にあった天守、櫓、山中、山麓の石垣などは加納城に、御殿建築は大垣市赤坂のお茶屋敷に移されたという。
2017年7月23日訪問
この日はレンタカーで、加納城→岐阜城→犬山城→小牧山城。
ロープウェーで山上へ行き模擬天守まで登って感じたことは「ここの曲輪は狭い!」
山麓の居館跡とセットで観なければいけないようです。
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岐阜城は典型的な「山城」
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