沼田藩:譜代 3.5万石 Wikipedia
藩主家の変遷:小田原征伐後、真田昌幸が沼田領を嫡男の真田信之に任せたのが沼田藩の基。真田家松代藩から独立した正式な立藩は明暦4年(1658年)。
延宝8年(1680年)真田家改易の後は、幕府領、本多家、黒田家と続き、寛保2年(1742年)、土岐頼稔が駿河田中藩から入封して幕末維新まで続いた。
居城:群馬県沼田市 沼田城 Wikipedia
城郭構造:丘城
築城主 :沼田顕泰
築城年 :1532年
主な改修者 :真田信幸
主な城主 :沼田氏・本庄秀綱 猪俣邦憲・真田氏
廃城年 :1682年(幕府領時) →1703年本多正永が入封し、沼田藩2万石として再興され、以降、黒田氏、土岐氏と沼田藩の藩庁として存続するが、城の本格的な復興はなされない。
遺構 :土塁、堀、石垣、城門(移築)
指定文化財 :沼田市指定史跡
再建造物 :鐘櫓
幕末藩主:土岐頼知(よりおき 当時18歳)
戊辰戦争への対応:戊辰戦争では桑名藩や会津藩と姻戚関係にありながら、新政府軍の沼田進駐を許して新政府に恭順し、三国峠の戦いで会津軍と戦った。
2017年5月20日訪問
栃木県、群馬県史跡巡りの二日め。
華厳の滝→戦場ヶ原→吹割の滝→沼田城跡→箕輪城跡→無事帰宅
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沼田城は北の薄根川と西の利根川、南の片品川に囲まれた舌状台地の北側先端に位置する。
お城地形区分は「台地先端」
●国土調査 地形分類図
●地理院地図 地形図+色別標高図
●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)
左は明治後期の地形図。上越線沼田駅がまだない。
城跡に桑畑記号が見える。この頃は、台地は桑畑、低地は水田という土地利用だったのだろう。
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