忍藩:家門 10万石 Wikipedia
居城:埼玉県行田市 忍城 Wikipedia
城郭構造:平城
開戦時藩主:松平忠誠(ただざね当時29歳)
藩主家の変遷:松平家(深水)→松平家(徳川)→幕領→松平家(大河内)→阿部家→文政6年(1823年)、松平家(奥平)が桑名から忍藩に入封して幕末まで続いた。
戊辰戦争への対応:鳥羽伏見の戦い時は、出兵はしなかったものの大阪にいた。幕府軍が敗れると紀州から江戸へ帰り、新政府軍が迫ってきた3月に恭順してその後東北に出陣することとなった。賞典金1万両。
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・古代蓮の里
・忍城址
・さきたま古墳群
・石田堤跡
忍城は広域的には利根川と荒川に挟まれた妻沼低地に位置する。下地図、治水地形分類図では「自然堤防」上に位置するが、周辺は台地、自然堤防、氾濫低地とも19m程度の標高で高低差は少ない。
お城地形区分は「低地自然堤防」
●地理院地図 治水地形分類図
治水地形分類図更新版
更新版では忍城跡周辺が段丘面となっている。なぜ自然堤防から変わったかは??
●地理院地図 地形図+色別標高図
●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)
左は明治初期の地図。秩父鉄道も国道125号もまだ通っていない。
忍城東側は現在の水城公園から北に水域が広がっている。
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●国土調査 地形分類図
上の治水地形分類図と比べると、地形区分は微妙に違う。なぜかは・・??
※参考:埼玉県の地形 出典:埼玉県環境管理指針