丹波国 亀山藩

戊辰戦争時の亀山藩について

亀山藩:譜代 5万石 Wikipedia

居城:京都府亀岡市 亀山城 Wikipedia

城郭構造:平山城

開戦時藩主:松平信正(のぶまさ 当時15歳)

藩主家の変遷:明智光秀が、天正5年(1577年)に丹波亀山城を築いて入部したのが、亀岡の近世的な始まりといわれる。

前田家→岡部家→松平(大給)家→菅沼家→松平(藤井)家→久世家→井上家→青山家→

寛延2年(1749年)、青山氏と入れ替わりで形原松平家の松平信岑が亀山藩主となると、以後はこの家系が代々の亀山藩主として定着した。

明治時代に伊勢亀山藩との区別から亀山の地名を亀岡に改称したため、これ以降は亀岡藩(かめおかはん)と呼ばれる。

戊辰戦争への対応:幕末期は佐幕派だったが、戊辰戦争で新政府の圧力を受けて降伏し、東征に参加している。

 

亀山藩訪問記

2018年11月23日訪問

大阪マラソン前々日。

二条城→亀山城→丹波国分寺跡→出雲大神宮→園部城→福知山城

※本丸跡等城内には行かなかった。

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●亀山城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

亀山城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

亀岡の歴史、地理、町並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学

地理院地図 都市圏活断層図

↓都市圏活断層図+色別標高図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

画面4分割で明治から現在までの地図を比較してみる。

明治期の市街地は山陰街道沿いの城下町の名残か。

※画像クリックで拡大  ↓下の地図へリンク