越後国 高田藩

戊辰戦争時の高田藩について

高田藩:譜代 15万石 Wikipedia

居城:新潟県上越市 高田城 Wikipedia

城郭構造:輪郭式平城

開戦時藩主:榊原政敬(まさたか 当時24歳)

藩主家の変遷:関ヶ原の戦い後に堀秀政が徳川家康から所領を安堵されたことにより、幕藩体制下における高田藩(福嶋藩)の立藩となった。

堀家→松平(長沢)家→酒井家→松平家(越前)家→幕府領→稲葉家→戸田家→松平(久松)家→

寛保元年(1741年)11月、榊原家が姫路藩から高田藩に国替えを命じられ入封、幕末まで定着した。

戊辰戦争への対応:戊辰戦争では、当初態度を曖昧にしていたが、官軍が迫ると領内にいた幕府歩兵隊を追放、恭順の姿勢を示した。長岡藩・会津藩討伐の先鋒を命じられ、東北各地を転戦した。

 

高田藩訪問記

2014年7月5日訪問

能登島ハーフマラソンの前日。

高田城→ゴーゴーカレー→春日山城跡→和倉温泉

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●高田城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

高田城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「低地自然堤防」

高田の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

地理院地図 治水地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 ↓ 地形図+色別標高図+治水地形分類図

 

●旧版地形図 昭和初期発行

明治後期に陸軍師団が置かれた旧高田市には軍用地が多く見受けられる。この地図の高田城跡にある、星形に二重丸は師団司令部、星形に一重丸は旅団司令部の地図記号。