越前国 福井藩

戊辰戦争時の福井藩について

福井藩:親藩 32万石 Wikipedia

居城:福井県福井市 福井城 Wikipedia

城郭構造:輪郭式平城

開戦時藩主:松平茂昭(もちあき、当時31歳) ←実権者:松平慶永(春嶽)

藩主家の変遷:慶長6年(1601年)に関ヶ原の戦いの功により、徳川家康の次男の秀康が越前一国67万石を与えられ、柴田勝家の築いた北ノ庄城を約6年かけて大改修し居城とする。秀康は結城姓を松平に復し、越前松平家を興す。その後支藩の分封や相続の混乱等があったが越前松平家として明治維新を迎える。

戊辰戦争への対応:幕府の政事総裁職をつとめ、会津藩に京都守護職を勧めた先代藩主松永慶永であるが、早々と新政府軍に参加した。北越、会津戦争に参加した福井藩兵は一説に2034名、戦死者23名。戦争後の賞典禄1万石。

 

福井藩訪問記

2016年10月22日訪問

越前国分寺跡(武生)→一乗谷朝倉氏遺跡→継体天皇像、北ノ庄城跡、福井城→丸岡城と、急ぎ足の訪問。

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

・福井城跡

※福井城跡には現在、福井県庁と福井県警察本部が建っている。どうも庶民を見おろしているようで違和感があるんだけど、私だけか・・・

 

 

・北ノ庄城跡(柴田勝家がお市と共に自害した城)

 

 

・継体天皇像(越前で育ったと言われる第26代天皇)

 

●福井城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

福井城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「自然堤防」

福井の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

地理院地図 治水地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図