松前藩:外様 3万石 Wikipedia
藩主家の変遷:松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く(安政元年 1854年)。居城の名から福山藩とも呼ばれる。
慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。
居城:北海道松前町 松前城(福山城) Wikipedia
城郭構造 :平山城
天守構造 :独立式層塔型3重3階(1849年(嘉永2年)築 非現存) (1960年RC造外観復元)
築城主 :松前崇広
築城年 :慶長11年(1606年)、現在地に陣屋を築く。嘉永2年(1849年)、幕府は北方警備を目的に松前崇広に福山館改築(松前築城)を命じ、安政元年(1854年)、3重の天守を上げ竣工した。
主な改修者 :松前氏
主な城主 :松前氏
廃城年 :1875年
遺構 :本丸御門、御殿玄関、石垣、土塁、堀
指定文化財 :国の重要文化財(本丸御門)、国の史跡、北海道有形文化財(御殿玄関)
再建造物 :天守
幕末藩主:松前徳広(のりひろ 当時24歳)
戊辰戦争への対応:松前藩は戊辰戦争の中でも、東北戦争の時点では奥羽越列藩同盟に参加していたが、勤王派の正議隊(正義隊)が藩政を掌握して新政府側に寝返った。新築の館城に移って館藩として、箱館戦争で旧幕府軍と戦った。
2019年7月6日 函館マラソンの前日
館城跡→江差開陽丸→上ノ国勝山館→松前城
●フォトギャラリー 松前城 ※クリックで拡大
●フォトギャラリー 館城 ※クリックで拡大
館城(たて じょう)は、明治元年(1868年)、箱館戦争の直前に松前藩により渡島国檜山郡の館(現在の厚沢部町)に建造された城。従来の本拠である松前城に対し、新城とも言う。完成直後に旧幕府軍の攻撃を受け、落城した。
お城地形区分は「台地先端」
●ipadアプリ スーパー地形
●地理院地図 地形図+色別標高図