一関藩:外様 3万石 Wikipedia
藩主家の変遷:江戸幕府が開幕されて伊達政宗が初代仙台藩主になると、一関は仙台藩領となった。寛永18年(1641年)からは政宗の十男で仙台藩第2代藩主忠宗の異母弟の宗勝の領地となる。万治3年(1660年)に、宗勝は3万石の分知を受けてこの地に陣屋を置き、仙台藩の内分分知大名としての一関藩が正式に立藩した。
しかし伊達騒動により延宝7年(1679年)に宗勝が失脚死去すると一関藩は改易となり、その領地は仙台藩に収公された。
延宝9年(1681年)3月に陸奥岩沼より田村建顕(宗永)が移封され、5月2日(5月3日とも)に入封したことにより再び一関藩が立藩した。以後幕末維新まで田村家の統治が続いた。
幕末藩主:田村邦栄(くによし 当時15歳)
戊辰戦争への対応:戊辰戦争では、一関藩は仙台藩に従い奥羽列藩同盟に参加、後に仙台藩とともに明治政府へ降伏した。明治2年(1869年)、3千石の削減の上で藩主の実弟田村崇顕に家督相続を許された。
2019年10月26日訪問
盛岡マラソンの前日、岩手県の史跡巡り
一関城跡→骨寺村荘園遺跡→毛越寺→駒形神社→角塚古墳→胆沢城跡→志波城跡
※釣山公園は中世までの一関城跡。平安時代に坂上田村麻呂によって築かれたのに始まるという。戦国期までこの地は葛西氏の勢力化にあり、小田原の役後の葛西氏改易当時の一関城主は小野寺氏であった。
近世一関藩主・田村氏の居館は釣山の東裾(現在の城内地区)にあり、釣山は藩主の居館を見下ろす場所のため庶民は入ることができなかった。
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