小倉藩:譜代 15万石 Wikipedia
居城:福岡県北九州市小倉区 小倉城 Wikipedia
城郭構造:輪郭式平城
開戦時藩主:小笠原忠忱(ただのぶ 当時5歳)
藩主家の変遷:慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで細川忠興は東軍に属して戦い、豊前一国と豊後国国東郡・速見郡都合39万9千石に大幅加増され小倉藩を立藩した。当初は中津城に入城したが、すぐに毛利氏の旧小倉城の跡地に大大名の居城として相応しい規模の城郭と城下町の建設を開始し、慶長7年(1602年)小倉城に藩庁を移した。2代忠利が寛永9年(1632年)さらに加増され熊本藩54万石に移封されると、播磨国明石藩より小笠原忠真が入部し、小倉城主として豊前北部15万石を領した。その後幕末維新まで小笠原氏の支配が続いた。
戊辰戦争への対応:第二次長州征伐では長州藩の攻撃を受け、慶応2年8月には小倉城に火を放って退却した。同年9月、田川郡香春に政庁を設置した。戊辰戦争では新政府に恭順し東北の戦線に出兵した。戦後の賞典禄5千石。
2018年2月18日訪問
北九州マラソンを走った当日、ホテルから近かったので夕暮れ時に散策。
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お城地形区分は「台地先端」
●地理院地図 ベクトルタイル地形分類
●地理院地図 地形図+色別標高図
●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)
左は大正14年発行の地図。小倉駅は現在の西小倉駅付近にある(現在地に移転したのは昭和33年)。小倉城跡は陸軍が利用している。
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