掛川藩:外様 5万石 Wikipedia
藩主家の変遷:豊臣秀吉の小田原征伐後、家康が関東に加増移封されると、掛川には豊臣氏の家臣・山内一豊が入った。一豊は関ヶ原の戦いの功績を賞されて掛川から土佐国に加増移封となった。
慶長6年(1601年)2月、下総国小南から家康の異父弟・松平定勝が3万石で入るが、その後藩主家は激しく入れ替わった。
延享3年(1746年)、上野国館林藩より5万石で太田資俊が入り、ようやく藩主家が安定し幕末維新まで続いた。
居城:静岡県静岡市 掛川城(懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城) Wikipedia
城郭構造:平山城
天守構造 :不明3重(1621年再建 非現存) 複合式望楼型3重4階(1996年 木造復元)
築城主 :朝比奈泰煕
築城年 :文明年間(1469年〜1487年)
主な改修者 :山内一豊
主な城主 :朝比奈氏、山内氏、太田氏、石川氏
廃城年 :1871年(明治4年)
遺構 :二の丸御殿・太鼓櫓(移築)・大手門番所(移築)・石垣・土塁・堀(いずれも一部)
指定文化財 :国の重要文化財(二の丸御殿)
再建造物 :天守・門
幕末藩主:太田資美(おおたすけよし 当時13歳)
戊辰戦争への対応:鳥羽伏見の戦い後、幕府から駿府城の警備を求められるも、藩兵のほとんどを帰藩させ、自ら上京して新政府に恭順した。
2017年3月4日訪問
静岡マラソン参加の前日に静岡県内史跡巡り。
駿府城、静岡浅間神社、登呂遺跡、片山廃寺跡、掛川城、田中城・・・
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お城地形区分は「台地先端」
●地理院地図 土地条件図(数値地図)
●地理院地図 地形図+色別標高図