加納藩:譜代 3.2万石 Wikipedia
居城:岐阜県岐阜市 加納城 Wikipedia
城郭構造:平城
開戦時藩主:永井尚服(なおこと 当時34歳)
藩主家の変遷:慶長6年(1601年)、徳川家康は、10万石で娘婿の奥平信昌に織田氏の旧領を与えた。奥平信昌が岐阜に入ると、織田氏の色が濃い「岐阜」から「加納」に都市名を変更し、岐阜城の遺材などを用って加納城を築かせた。これが加納藩の成立である。寛永9年(1632年)に大久保氏が5万石で入った後は、松平(戸田)氏、安藤氏と続き、宝暦6年(1756年)永井氏が武蔵岩槻藩から3万2,000石で入り幕末維新まで続いた。
戊辰戦争への対応:最後の藩主・尚服は大政奉還直前に若年寄に任じられたが、戊辰戦争では岩倉具定に帰順して新政府側に与した。
2017年7月23日訪問
この日はレンタカーで、加納城→岐阜城→犬山城→小牧山城。
加納城は想像以上に、曲輪、石垣、堀が残っていた。現在の岐阜駅周辺は、明治になって鉄道が開通してから市街化していったようだ。
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お城地形区分は「低地扇状地」
●地理院地図 ベクトルタイル地形分類
●地理院地図 地形図+色別標高図
●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)
左は明治後期の地図。加納城跡のカタチが割とよく残っている。
JR岐阜駅は現在より北側にあったようだ。
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