美作国 津山藩

津山藩について

津山藩:親藩 10万石 Wikipedia

藩主家の変遷:慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、美作国は備前岡山藩主小早川秀秋が領有していたが、慶長7年(1602年)、秀秋の無嗣子での死去により廃絶した。

慶長8年(1603年)、信濃川中島藩より森可成の子忠政が美作一国18万6500石にて入封し、津山藩が立藩した。この地は従来、鶴山と呼ばれていたが、忠政により津山と改められた。翌慶長9年(1604年)より、美作の府庁として津山城の築城に着手し、元和2年(1616年)に完成した。この間に津山の城下町も整備され、藩政の基礎が築かれた。

森家は元禄10年(1697年)に改易となり、翌年、結城秀康を祖とする越前松平家宗家の松平宣富が10万石で入封、以後幕末維新まで松平家の統治が続いた。

 

居城:岡山県津山市 津山城(鶴山城) Wikipedia

城郭構造: 梯郭式平山城

天守構造 :独立式層塔型4重5階(非現存)

築城主 :山名忠政

築城年 :嘉吉年間(1441年~1444年)

主な改修者 :森忠政

主な城主 :山名氏、森氏、松平氏

廃城年 :明治6年(1873年)

遺構 :石垣、堀

指定文化財 :国の史跡

再建造物 :備中櫓、塀

 

幕末藩主:松平慶倫(よしとも)

戊辰戦争への対応:長州征伐や鳥羽伏見の戦いでは幕府側で参戦。その後、恭順し献金5000両を課され許された。

 

津山藩訪問記

2017年11月11日

岡山マラソンの前日にレンタカーで、津山城→美作国総社・国府跡→備中松山城→鬼ノ城を訪問。かなり忙しい行程だった。

2015年5月2日

連休を利用して岡山、鳥取へ旅行。

2011年7月10日

出張の翌日、岡山誕生寺、津山城、備中松山城、備中高松城、吉備津神社を訪問。

2017年11月11日撮影 津山城天守台
2017年11月11日撮影 津山城天守台
2015年5月2日撮影
2015年5月2日撮影

 

●フォトギャラリー 2017.11.11 ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー 2015.05.02 ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー 2011.07.10 ※クリックで拡大

写真はこの4枚しか撮っていなかった。。

 

●津山城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます)

津山城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「孤立丘陵」

 ●国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図