国分寺跡:仙台市若林区木の下に国指定史跡として整備されている。現国分寺薬師堂あり。
国分尼寺跡:国分寺跡から700m程東に位置する。国の史跡。推定寺域と重複して現国分尼寺がある。
国府跡:当初の国府は郡山遺跡と推定されており、名取郡にあったとされる。神亀元年(724年)に宮城郡多賀(現在の宮城県多賀城市)に多賀城が建設されると同時に国府もここに移された。
総社:多賀城址の北近くの陸奥総社宮。
2017年4月23日 陸奥総社宮を訪問
この日の主な目的は山形城の100名城スタンプ。日帰りで山形と仙台周辺へ。
山形城・出羽国分寺→多賀城・陸奥総社宮→仙台城
2014年6月6日訪問
この日は仙台周辺史跡巡り。
仙台城→多賀城→塩釜神社→陸奥国分寺・国分尼寺
●フォトギャラリー 2017.04.23 ※クリックで拡大
まだ行ってなかった陸奥総社宮を訪問
●フォトギャラリー 2014.06.06 ※クリックで拡大
国分寺跡→国分尼寺跡
陸奥国分寺は広瀬川左岸の自然堤防上に位置する。国分寺地形区分は「低地自然堤防」
●地理院地図 土地条件図
等高線をみると、仙台駅周辺は平坦な台地だが、東に向かって自然堤防に入ると等高線間隔が狭くなり下り勾配になっているのがわかる。次の地図で標高差を調べてみた。
●Yahoo!地図で標高差を調べる
車で走ってても気が付かなかったが、こうやってみると結構な標高差がある。
●地理院地図 地形図+色別標高図
国府と国分寺が直線で10キロほど離れているが、こんな例は他にもあるのか・・?
→最初にこのように書いたが、多賀城に西暦724年に国府が作られるまでは、現在の長町駅東側(下地図の郡山官衙遺跡群)の辺りに国府があったとのこと。ということは、745年以降建立の陸奥国分寺は、多賀城付近よりも、前の国府に近い場所を選んだ・・?
●Flood Maps 海面上昇シミュレーション(+7m)
●日本地理学会 津波被災地図
●旧版地形図(昭和3年測図) ※時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」
陸奥国分寺跡の北側にある、現在のKoboスタを含む宮城野原公園は、陸軍の練兵場だった。