別名 :佐々木城
城郭構造 :山城
天守構造 :なし(屋形二階)
築城主 :六角氏頼
築城年 :応仁・文明年間(1467年 - 1487年)
主な改修者 :佐々木六角氏
主な城主 :佐々木六角氏
廃城年 :永禄11年(1568年)
遺構 :曲輪、土塁、石垣、竪堀、虎口、堀切、井戸
指定文化財 :国の史跡
再建造物 :なし
観音寺城は中世の近江源氏佐々木氏、後に近江守護の六角氏の居城。総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置する。
永禄11年(1568年)、尾張の織田信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を興すと六角氏は敵対し、9月13日に信長に支城の箕作城と和田山城を落とされると、六角義賢・義治父子は観音寺城から逃げ無血開城した。その後、六角義賢父子は観音寺城に戻ることが出来ずそのまま廃城になったと思われている。
2017年4月30日訪問
琵琶湖周辺と、敦賀、小浜方面史跡巡りの最終四日め。
近江八幡の町並→安土城郭資料館→安土城(観音寺城)→米原駅
連れ合いが一緒だったため、安土城と観音寺城、二カ所の登山は無理と判断して、資料館でスタンプだけをもらうことに。写真は麓から一枚だけ。
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