常陸国 笠間藩

戊辰戦争時の笠間藩について

笠間藩:譜代 8万石 Wikipedia

居城:茨城県笠間市 笠間城 Wikipedia

城郭構造:山城

開戦時藩主:牧野貞直(さだなお 当時37歳)

藩主家の変遷:慶長6年(1601年)松平康重が3万石で入封して笠間藩を立藩。その後藩主家は頻繁に変わり、永享4年(1747年)、牧野貞通が8万石で藩主となりようやく安定し幕末維新まで続いた。

戊辰戦争への対応:本家長岡藩が奥羽越列藩同盟に組したのに対し、笠間藩は官軍に属し会津攻撃にに参加した。

笠間藩訪問記

2017年8月20日訪問

この日は、水戸城跡→笠間城跡・笠間稲荷神社→常陸国分寺・国分尼寺跡→土浦城跡。

 

●フォトギャラリー 2017.08.20  ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー 2017.08.20  ※クリックで拡大

笠間と言ったら「笠間稲荷神社」

 

●笠間城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

笠間城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「山地」

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は明治末期の地図。

江戸時代の城下町は笠間稲荷神社の周辺だったろうか。

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