下野国 壬生藩

戊辰戦争時の壬生藩について

壬生藩:譜代 3万石 Wikipedia

居城:栃木県下都賀郡壬生町 壬生城 Wikipedia

城郭構造:平城

開戦時藩主:鳥居 忠宝(ただとみ当時23歳) ←鳥居氏宗家 ※幕末の鳥居耀蔵は庶流の旗本家出身

藩主家の変遷:日根野家→阿部家→三浦家→松平(大河内)家→加藤家→正徳2年(1712年)2月26日、加藤氏は近江水口藩に戻され、入れ替わりで若年寄の鳥居忠英(ただてる)が3万石で入る。

戊辰戦争への対応:戊辰戦争では新政府につくか、幕府側に与するかで混乱する中、ようやく新政府側に与して幕府軍と戦った。賞典金2千両を賜る。

 

壬生藩訪問記

2013年12月15日

すぐ近くでゴルフコンペ(星の宮カントリー倶楽部)があったので、朝行きがけに立ち寄る。

壬生城址公園に建つ復元門
壬生城址公園に建つ復元門

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●壬生城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得)

壬生城周辺の地形を調べてみる

壬生城は関東平野北部、思川左岸の台地に位置する。台地といっても思川との標高差は10mも無く低地の様相。

お城地形区分は「台地平坦地」

 ●国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web ((C)谷 謙二)

左は明治42年発行の地図。東武線もバイパスも通っていない。

※画像クリックで拡大  ↓下の地図へリンク

 

壬生藩には日光西街道(壬生道)壬生宿があった。日光へは日光街道宇都宮経由よりこちらが近い。江戸時代、日光社参の将軍が帰路はここを通ったとか。

※図はあんずの旅日記より

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

●シームレス地質図

上のJ-ShisMap左側、東武日光線沿いの扇状地となっているところは、下のシームレス地質図では自然堤防となっている。

※下地図の凡例10は、「後期更新世-完新世(H)の海成または非海成堆積岩類 (説明: 約1万8000年前~現在までに形成された最も新しい時代の地層)」、いわゆる沖積層。