土佐藩:外様 24.2万石 Wikipedia
藩主家の変遷:土佐藩の領域は戦国時代末期には長宗我部氏が統治していたが、長宗我部盛親は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて西軍に与して改易となった。
この合戦において徳川氏に味方した遠江掛川城主・山内一豊が、新たに土佐国20万2600石を与えられた。以降、明治時代初頭まで山内氏が治めた。
居城:高知県高知市 高知城(鷹城) Wikipedia
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造 :独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再、現存)
築城主 :大高坂氏?
築城年 :南北朝時代(14世紀頃)
主な改修者 :長宗我部元親、山内一豊、山内豊敷
主な城主 :山内氏
廃城年 :1871年(明治4年)
遺構 :現存天守・御殿・櫓・門、石垣、堀
指定文化財 :重要文化財(天守など15棟) 国の史跡
幕末藩主:山内豊範(当時21歳) ※実権者:前藩主山内豊重(容堂)
戊辰戦争への対応:当初慶喜追討には慎重だったものの鳥羽伏見戦からは新政府軍の主力として各地で活躍。会津戦争では板垣退助さん大活躍。賞典禄4万石。
2023年2月18日
高知マラソンの前日に高知城に立ち寄り、3度目の訪問でやっとスタンプをゲット!
2013年9月27日
出張翌日に城下町歩きと2度目の高知城。その後桂浜と仁淀川へ。
2008年5月5日
ゴールデンウィーク四国5泊旅行で立ち寄る。
●フォトギャラリー 2013.09.27 ※クリックで拡大
高知城は高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた。地形的には「丘陵地」。縄文海進時には島で、海退時に取り残された小山か・・
お城地形区分は「孤立丘陵」
高知の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学
●地理院地図 土地条件図(数値地図)
●地理院地図 地形図+色別標高図
●国土調査 地形分類図
●J-Shis Map 微地形区分
●シームレス地質図
●G-Banz 標高グラフ