陸奥国 黒石藩

黒石藩について

黒石藩:弘前藩の支藩 Wikipedia

藩主家の変遷:黒石藩は本家弘前藩4代藩主津軽信政が藩主就任時幼少だったため、幕府の指示により叔父の信英(3代藩主・信義の弟)を本藩の後見人とすべく、明暦2年(1656年)信政が本藩を継ぐと同時に弘前藩より5000石を分知されたのに始まる。黒石津軽家8代となる親足の代に至り、文化6年(1809年)弘前本藩よりさらに6000石の分与があり、1万石の外様大名として柳間に列した。居城は黒石陣屋(黒石城)。

 

陣屋:青森県黒石市 Wikipedia

別名:烏城(うじょう)

城郭構造 :平山城

天守構造 :なし

築城主 :津軽信英

築城年 :明暦2年(1656年)

主な改修者 :不明

主な城主 :津軽氏

廃城年 :明治4年(1871年)

遺構 :郭・堀

指定文化財 :なし

 

幕末藩主:津軽 承叙(つぐみち 当時27歳)

戊辰戦争への対応:戊辰戦争では、本家の弘前藩と行動を共にして新政府に与し、箱館に出兵した。この功績により、明治2年(1869年)に賞典金1,000両が下賜された。

黒石藩訪問記

2016年11月25日訪問

 

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黒石藩陣屋周辺の地形を調べてみる

現在の御幸公園が馬場跡で、ここに黒石城址の石碑と陣屋絵図案内板がある。陣屋は黒石市中央スポーツ館辺りだったとか。

地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

●地理院地図 地形図+陰影起伏図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図