陸奥国 七戸藩(盛岡新田藩)

七戸藩について

七戸藩(盛岡新田藩):盛岡藩(外様20万石)の支藩 Wikipedia

藩主家の変遷:1819年(文政 2年)、南部信鄰(のぶちか)が本家盛岡藩主南部利敬より、幕府の許可の下に加増を受けて、内分ながら1万1000石の定府大名として盛岡新田藩(のちの七戸藩)を立藩、居城を七戸城とした。以後3代続いて明治を迎えた。

 

居城:青森県上北郡七戸町 七戸城 Wikipedia

城郭構造:平山城

築城年 :不明

廃城年 :天正20年(1592年)※江戸時代は城内に盛岡藩の代官所が設置された。

指定文化財 :国の史跡

 

幕末藩主:南部 信民(のぶたみ 当時34歳)

戊辰戦争への対応:盛岡藩と共に奥羽越列藩同盟に参加、新政府側に寝返った弘前藩と戦うなどして活躍した。戦後、新政府から罪に問われて1000石の領地削減と、養嗣子・信方に家督を譲って強制隠居するように命じられた。

七戸藩訪問記

2014年5月9日訪問

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

・七戸城跡

・青岩寺(七戸城本丸城門を山門として移築)

野辺地戦争戦死者の墓所

 

●七戸城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

七戸城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図