筑前国 福岡藩

福岡藩について

福岡藩:外様 47.3万石 Wikipedia

藩主家の変遷:慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの功により、筑前の一部を領有していた小早川秀秋が備前国岡山藩に移封となった。代わって豊前国中津藩主の黒田長政が、同じく関ヶ原の戦功により、筑前一国一円52万3千余石の大封を与えられたことにより、福岡藩が成立した。国主、本国持の大名家である。

 

居城:福岡県福岡市中央区 福岡城(舞鶴城、石城) Wikipedia

城郭構造:梯郭式平山城

天守構造 :不明

築城主 :黒田長政

築城年 :1601年

主な改修者 :黒田長溥

主な城主 :黒田氏

廃城年 :1871年

遺構 :櫓4棟・門3棟、石垣、堀

指定文化財 :国の重要文化財(多聞櫓・二の丸南隅櫓) 国の史跡 福岡県文化財(潮見櫓・大手門・ 祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門) 福岡市文化財(名島門)

再建造物 :二の丸北隅櫓、大手門

 

幕末藩主:黒田長溥(ながひろ 当時42歳)

戊辰戦争への対応:第11代藩主長溥は、蘭学好きで政治的には早くから開港を主張する公武合体派だった。第一次征長では長州藩の赦免を願い出たり、長州落ちしていた七卿のうち三条実美などを大宰府に受け入れた。だが勤皇派勢力が強いと見た幕府目付の糾弾を受けると、1865年の「乙丑の獄」で勤皇派の藩士を粛正した。

しかし、鳥羽伏見の戦いの結果を見た長溥は、再び路線を変更して新政府への恭順を決意。関東や東北の戦線へ2261名の兵を送り賞典禄1万石を得た。

 

福岡藩訪問記

2018年2月19日訪問

北九州マラソンの翌日、福岡城、大野城、大宰府跡を訪問

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●福岡城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

福岡城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「孤立丘陵」

●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

●地理院地図 土地条件図(数値地図)

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は昭和4年発行の地図。まだ海岸線の埋め立てが行われていない。

福岡城跡は陸軍が利用している。

※画像クリックで拡大  ↓下の地図へリンク