筑後国 柳河藩

戊辰戦争時の柳河藩について

柳河藩:外様 11.9万石 Wikipedia

居城:福岡県柳川市 柳川城 Wikipedia

城郭構造:平城

開戦時藩主:立花鑑寛(あきとも 当時38歳)

藩主家の変遷:豊臣時代は立花宗茂が柳川城主として13万2千石を領していたが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易除封となった。同年、三河国岡崎城主田中吉政が筑後一国32万5千石を与えられ柳川城に入ったが、元和6年(1620年)2代忠政が病没すると、無嗣断絶により改易となった。同年のうちに旧田中領は分割され、西軍荷担の罪を赦され陸奥国棚倉藩3万石を領していた立花宗茂が8万石弱の加増を受けて10万9千石で柳川城に返り咲いた。以後幕末維新まで立花氏の支配が続いた。

戊辰戦争への対応:戊辰戦争では新政府側に与し、会津若松まで転戦した。軍功により明治政府より賞典禄5千石を与えられた。

 

柳河藩訪問記

2018年2月17日訪問

北九州マラソンの前日に、柳川、八女、久留米の史跡を訪問。

柳川川下りに行ったが、お堀の清掃のための水抜きの時期で、かなり短い区間での運航だった。残念!

 

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●柳川城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

柳川城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「低地氾濫平野」

柳川の歴史、地理、町並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学

 

●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

地理院地図 治水地形分類図更新版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図