平戸藩:外様 61.7千石 Wikipedia
藩主家の変遷:現在の長崎県北部の豪族だった松浦党より台頭した松浦隆信は、肥前北部及び壱岐を征す戦国大名となった。その子の鎮信(法印)は天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐の折、旧領である北松浦郡・壱岐を安堵された。
続いて慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで東軍に与した松浦氏は徳川家康より6万3千石の所領を安堵され、平戸藩が確立した。以後幕末維新まで続く。
居城:長崎県平戸市 平戸城(亀岡城、亀甲城、日之嶽城) Wikipedia
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造 :なし・代用(乾櫓三重) (複合式層塔型3重5階・鉄筋コンクリート造模擬)
築城主 :松浦鎮信
築城年 :慶長4年(1599年)
主な改修者 :松浦棟
主な城主 :松浦氏
廃城年 :1871年
遺構 :櫓・門・石垣 指定文化財 なし
再建造物 :天守・櫓
幕末藩主:松浦 詮(まつらあきら 当時27歳)
戊辰戦争への対応:第二次長州征伐の後、藩論は倒幕に傾斜し、慶応4年(1868年)戊辰戦争勃発直後、官軍方への参加を明確にした。同時に軍制改革により洋式の銃部隊を編成し、奥州へと転戦した。賞典録3千石。
20⒗年4月29日訪問
平戸は連休中でも観光客が少なかったが、素敵な街だった。
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・ホテルから平戸城ライトアップ
・平戸の街を散策 和蘭商館跡、ザビエル記念協会他
お城地形区分は「孤立丘陵」
平戸の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学
●地理院地図 沿岸海域土地条件図
●地理院地図 地形図+色別標高図