岡藩:外様 7.0万石 Wikipedia
藩主家の変遷:織田信長、豊臣秀吉に仕えた中川清秀の子で、4万石を領し、播磨国三木城主であった中川秀成が、1594年(文禄3年)に66,000石で岡城に入封した。秀成は、1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属したため徳川家康より所領を安堵され、中川家は一度の移封もなく廃藩置県まで存続した。
居城:大分県竹田市 岡城(臥牛城、豊後竹田城)Wikipedia
城郭構造:梯郭式山城
天守構造 :不明(1596年築・非現存) 複合連結型層塔式(1774年再・非現存)
築城主 :緒方惟栄
築城年 :文治元年(1185年)
主な改修者 :志賀貞朝、中川秀成
主な城主 :志賀氏、中川氏
廃城年 :明治4年(1871年)
遺構 :石垣
指定文化財 :国の史跡
幕末藩主:中川久昭(ひさあき 当時47歳)
戊辰戦争への対応:岡藩は、慶応3年9月から御所猿ヶ辻番所の警備についており、鳥羽伏見の戦いが勃発すると改めて生坂藩兵とともに猿ヶ辻の警備を命じられるなど、勤皇の立場を明確にしていた。藩主久昭は、慶応4年(1868年)3月11日に上洛したが、駿府への派兵の遅れから翌年2月に謹慎を命じられた。
2019年5月31日訪問
岡城→竹田湧水群→原尻の滝→佐伯城
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お城地形区分は「山地丘陵地」
●地理院地図 地形図+色別標高図