犬山藩:譜代 3.5万石 Wikipedia
藩主家の変遷:慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与した犬山城主・石川光吉は改易され、尾張清洲藩には徳川家康の四男・松平忠吉が52万石で入った。このとき、忠吉の御附家老として小笠原吉次が犬山に所領を与えられたのが、犬山領の始まり。
その後平岩氏を経て元和3年(1617年)、徳川義直の附家老である成瀬正成が3万石で入って、尾張藩を補佐する犬山成瀬氏がここに成立した。ただし犬山成瀬氏はあくまで身分は尾張藩の徳川家を補佐する重臣という立場であり、藩として正式に認められて立藩したのは慶応4年(1868年)1月である。
居城:愛知県犬山市 犬山城(白帝城) Wikipedia
城郭構造:平山城
天守構造 :複合式望楼型 3層4階地下2階(1620年改)
築城主 :織田広近
築城年 :1469年(文明元年)
主な改修者 :織田信康
主な城主 :織田氏、豊臣氏、石川氏、平岩氏、成瀬氏
廃城年 :1871年(明治4年)
遺構 :現存天守、石垣、土塁
指定文化財 :国宝(天守) 国の史跡
再建造物 :櫓、門(模擬)
幕末藩主:成瀬正肥(まさみつ 当時32歳)
戊辰戦争への対応:藩主・正肥は自ら兵を率いて戊辰戦争に参戦。甲州や信州に赴いた。
2017年7月23日訪問
この日はレンタカーで、加納城→岐阜城→犬山城→小牧山城。
予備知識が無かったもので、お城から南に続く本町通りが賑やかでびっくり!
●フォトギャラリー ※クリックで拡大
お城地形区分は「孤立丘陵」
犬山の歴史、地理、町並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学
●地理院地図 ベクトルタイル地形分類
●地理院地図 土地条件図(数値地図)
●地理院地図 地形図+色別標高図