岡崎藩:譜代 5万石 Wikipedia
藩主家の変遷:岡崎城は徳川家康生誕の地であり、三河における徳川氏の最重要拠点であった。小田原征伐後、家康が関八州に移封されると、豊臣氏の家臣田中吉政が10万石で入った。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで吉政は東軍に与して武功を挙げたことから、筑後国柳河藩32万5000石へ加増移封された。
慶長6年(1602年)2月に徳川氏譜代の重臣本多康重(本多彦次郎家)が上野国白井藩より5万石で入ったのが岡崎藩の立藩である。
正保2年(1645年)、本多家が遠江国横須賀藩5万石へ移封されと、その直後に三河吉田藩から水野忠善が5万石で入った。
宝暦12年(1762年)、水野家が肥前国唐津藩6万石へ加増移封され、代わって下総古河藩より松平康福が5万4000石で入るが、明和6年(1769年)、石見国浜田藩へ移封された。
それと入れ替わる形で本多忠粛が5万石で入り、ようやく藩主家は定着して幕末維新まで続いた。
居城:愛知県岡崎市 岡崎城(龍城) Wikipedia
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造 :複合連結式望楼型3重3階(1617年築・非現存) 復興(1959年(昭和34年)再・RC造)
築城主 :西郷稠頼・頼嗣(三河国守護仁木氏の守護代)
築城年 :享徳元年(1452年)(享徳4年説あり)
主な改修者 :松平清康、田中吉政、本多忠利
主な城主 :西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城年 :明治6年(1873年)
遺構 :石垣、堀
指定文化財 :岡崎城跡(岡崎市指定史跡)
再建造物 :天守、門
幕末藩主:本田忠民(ただもと 当時50歳)
戊辰戦争への対応:藩内では佐幕派と尊王派が激しく対立していたが、戊辰戦争時には新政府軍に恭順し協力した。
2017年7月25日訪問
それほど大きくない城跡だけど、堀や石垣がよく残っている。
家康の生誕地と思うとなんか感慨深いものが・・・
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お城地形区分は「台地先端」
●地理院地図 ベクトルタイル地形分類
●地理院地図 土地条件図(数値地図)
●地理院地図 地形図+色別標高図
●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)
左は明治26年発行の地図。
市街化されているのは旧東海道沿いで、名鉄戦もまだ通っていない。
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