萩藩:外様 36.9万石 Wikipedia
藩主家の変遷:毛利家は関ヶ原の戦い(慶長5年、1600年)で西軍の総大将として担ぎ出されたため減封処分となり、周防・長門2国のみ与えられることとなった。(秀吉時代は、安芸・周防・長門・備中半国・備後・伯耆半国・出雲・石見・隠岐の120万5000石だった)
幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる。
支藩は長門国に長府藩、清末藩、周防国に徳山藩、岩国藩(あいまいな扱いの特殊な支藩)。合わせて長州藩と呼ぶ。
居城:山口県萩市 萩城(指月城) Wikipedia
城郭構造:梯郭式平城+山城(指月山)
天守構造 :複合式望楼型5層5階(1608年築・非現存)
築城主 :毛利輝元
築城年 :慶長9年(1604年)
主な城主: 毛利氏
廃城年 :明治7年(1874年)
遺構 :長屋、石垣、堀
指定文化財 :国の重要文化財(厚狭毛利家長屋) 国の史跡
再建造物 :北の総門・土塀・土橋
幕末藩主:毛利敬親(たかちか 当時48歳)
戊辰戦争への対応:萩藩(長州藩)は薩摩藩とともに倒幕、戊辰戦争、明治維新の2大勢力だった。戊辰軍功賞典禄10万石。
2012年7月23日
中国地方4泊旅行ツアーで萩菊の浜の温泉旅館泊。
翌朝ジョギングで萩城跡から標高143mの指月山詰丸跡まで登ってきた。
●フォトギャラリー 2012.07.23 ※クリックで拡大
●フォトギャラリー 2012.07.22 ※クリックで拡大
萩城下町と松下村塾、松陰神社へ。
●萩城五層楼写真 山口県文書館HPより
萩城は指月山の麓に位置する。地形的には自然堤防、あるいは砂州・砂堆か。
萩市街は阿武川(あぶがわ)から分岐する橋本川と松本川(阿武川本川)によって形成された三角州地帯。川沿いには自然堤防が発達し、海岸沿いは砂丘となっている。山陰本線が三角州を迂回するように通っているのは、建設当時かなりの湿地帯だったからか。
お城地形はちょっと考えたけど「山地・丘陵地裾地」に区分することに。
萩の歴史、地理、街並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学
●国土調査 地形分類図
●地理院地図 地形図+色別標高図
●J-Shis Map 微地形区分