国分寺跡:大阪府東部の大和川左岸、大阪府・奈良県境の明神山地から北に延びる台地上に位置し、聖武天皇の詔で創建された国分僧寺の遺構に比定される。
金堂跡・塔跡の推定遺構が検出されているが、寺域・伽藍の詳細は未だ詳らかでない。現在では塔跡が史跡整備のうえで公開されている。
急傾斜地に位置するため推定寺域となる平坦面は狭く、他の国分寺が広い寺域を有するのに比べて特異な例になる。
国分尼寺跡:不詳。僧寺跡の西方に「尼寺」の地籍があり、奈良時代の瓦の出土も認められることから、同地付近に所在が推定される。
国府跡:国府は、現在の大阪府藤井寺市国府・惣社にある国府遺跡と推定されている。ただし、奈良時代の間に一度移動しているとされる。
総社:志貴県主神社。惣社のある土地にこの神社が移ってきたという説と国府の近くにあったので惣社になったという説がある。
2018年11月26日訪問
大阪マラソンの翌日、レンタサイクルで国府跡、国分寺跡、古市古墳群等を訪ねた。
●フォトギャラリー ※クリックで拡大
国分寺塔跡
国府跡(近くに国府八幡神社があった)
総社 志貴県主神社 (境内に河内国府址碑がある)
国分寺地形区分は「台地先端」
●地理院地図 ベクトルタイル地形分類+色別標高図
●地理院地図 地形図+色別標高図
●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)
画面4分割で明治から現在までの地図を比較してみる。
明治期に国分村の地名が見えるが、国分寺跡は全く示されていない。
現在でも「国分」の地名は良く残っている。
※画像クリックで拡大 ↓下の地図へリンク