国分寺跡:現国分寺と同位置
国分尼寺跡:不明
国府跡:未訪問 遺構は無いが国分寺跡の西側と推定 国司跡(土佐日記の紀貫之邸跡)あり
総社:現国分寺の境内内
Wikipedia(土佐国分寺)
2013年9月27日
高知市内史跡、高知城、桂浜、仁淀川、土佐神社、土佐国分寺跡と、詰め込み過ぎ日程だった。
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国分寺跡(現国分寺)
土佐国分寺は国分川沿いの氾濫平野に位置する。国分寺地形区分は「低地氾濫平野」
すぐ北に台地があり集落もあるのになぜ低地に作ったのだろう・・? 氾濫リスクはなかったのか?
●地理院地図 土地条件図(数値地図)
●地理院地図 地形図+色別標高図
●Flood Maps 海面上昇シミュレーション(+7m)
縄文海進とか平安海進とか考えると、国分寺建立の奈良時代はこの近くまで海とか干潟、あるいは湿地帯だったのか?