下総国分寺

国分寺跡:国分寺跡の伽藍は現在の国分寺と重複する位置にある。現在の本堂の場所が金堂跡。

国分尼寺跡:国分寺北東の市川市国分4丁目に所在、現在は国分尼寺跡公園として整備されている。

国府跡:国府域は和洋女子大、千葉商科大、国府台公園付近と推定、遺構あり。

総社:国府台公園の一角に下総総社跡碑あり。明治19年境内が陸軍に接収され須和田に遷座。

 Wikipedia(下総国) Wikipedia(下総国分寺)

下総国分寺訪問記

2014年10月12日訪問

 

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

国分尼寺跡→国分寺跡(現国分寺)

国府域、総社神社跡

明治19年に遷座した元総社(現六所神社)

下総国分寺周辺の地形を調べてみる

下総国分寺域および国府域は、下総台地西南端の、間に細い谷筋を挟んで南に舌状に伸びる二本の台地上に位置する。

国分寺地形区分は「台地先端」

●地理院地図 土地条件図 初期整備版

砂州・砂堆の分布から見て、現在の総武本線は古代の海岸線だった・・?

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図 明治後期発行

国分寺域、国府域の台地は陸軍用地であった。

真間川沿いは荒地湿地の地図記号。周辺は沼田となっているからかなりの軟弱地だっただろう。

京成線がまだ開通していない。千葉街道市川橋もまだない。

現在の国府台駅南地域が市街地っぽくなっているのは、江戸時代の市川小岩の渡しの名残か。現在江戸川土手には市川関所跡碑がある。

 

※参考:関東周辺の国府・国分寺跡位置 (地理院地図色別標高図)